Showboat (1936) の演技論

一九三六年版『ショウ・ボート』(ユニヴァーサル・ピクチャーズ)の後半は初演の舞台脚本とも、もちろん一九五一年版のMGM版『ショウ・ボート』とも展開が異なる。

もっとも目立つ違いは、マグノリアのもとを去ったゲイロードが劇場のドアマンになり、彼の勤める劇場でキムが演じることになって、ゲイロード、娘の晴れ姿を見にやって来たマグノリア、そしてキムという親子三人が再会するのが劇場となっていることだ。これは三六年版がバックステージものの要素の比重を重くしていることを示す。

さらに興味深いのは、この場の少し前で、舞台女優を引退するマグノリアがキムに(まるで歌舞伎役者のように)「後を継がせる」ことに決めて、ピアノを引きながら稽古をつけている場(初演舞台にはない)で、以下のような演技論が交わされることだ。マグノリアの母パーシーも同席しているので三人の会話となる。

Magnolia: Kim, darling, don’t you think you’re pressing just a little bit too hard?
Kim: How do you mean, mother?
Parthy: Don’t throw it at them.
Magnolia: Let the audience feel the sentiment of the song for themselves.
Parthy: Remember the folks in the gallery.
Kim: So many things to learn.

マグノリアがするキムへのダメ出しの要点は「押しつけがましくするな」「自分の力で表現しきらず、意図的に表現しない余地を残しておいて、それを観客の想像力に委ねろ」ということだろう。舞台表現に関わる普遍的な真理だとはいえ、俳優は登場人物として感じている内面の感情を歌やダンスのナンバーにのせて百%出し切るべし、というのが本来のミュージカルのイデオロギーであることを考えると少々驚く。

しかも、パーシーは”the folks in the gallery”のことを考えろ、と言う。「天井桟敷の観客」(パーシーは指を上に向けて指し、そのことを示唆する)は見巧者だから、百%出し切るような「クサい」演技をしたら見透かされるぞ、と警告しているのだ。

名優の芸談を読んでいるときに伝わるのにも似た、深い話だ。同時にこれは「直裁に言わず、ほのめかす」近代リアリズム演技のイデオロギーがすでに一九三六年時点でミュージカルの世界にも入り込んでいたことも示している。

ちなみにジュネス企画の日本語版で “don’t you think you’re pressing just a little bit too hard?” の字幕は「思い込みが強すぎるわ」となっており、パーシーの “Don’t throw it at them” は「力を抜いて」と訳されている。当たらずとも遠からず、というような訳だが、字数の制限を考えるとなかなかうまく本質を言い当てていると思う。

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